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Javascriptでクラス

いまさらですが,Javascriptでのクラスの使い方のメモ.

function ClassName(var1,var2){
 this.var1=var1;
 this.var2=var2;
 ClassName.prototype.func1=function(var1){
  alert(var1);
 }
 ClassName.prototype.func2=function(){
  this.func1(this.var2);
 }
}

function main(){
 var cn = new ClassName("Synvie",5);
 cn.func2();
 alert(cn.var1);
}

継承に関しては,prototype.jsを使うと簡単に出来るらしい.
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by mayasuke | 2006-02-14 17:55

オープンソース

とある,日本のオープンソース界ではものすごく有名な人とお会いしたので,思い切ってひとつ質問してみた.
「どうして,オープンソースでプログラムを開発し続けたのか?ほとんど儲からないだろうし,もっと,お金を儲ける手段はあったのではないか?」と.
そうすると,彼は
「いい質問だ.(すこし考えてから)それがよかったと思っている.なざならば,知り合いの幅が広がったからだ.自分の技術力を示すことができるし・・・」
と答えた.そこで,
「それは結果論ではないか?」
と聞いた.すると,
「そうかもしれないが,冷静に考えてみてもそうだ」
といった.本心はあまり話されていないように感じたが,十分いいたいことは分かった.彼にとって,オープンソースコミュニティの居心地が良かったのだろう.誰にとっても居心地の良いコミュニティというのは存在する.それが,大学であったり,仕事場であったり,同人コミュニティであったり,家族であったりするわけだ.

美辞麗句でオープンソースをほめる人もいるし,それがステイタスの向上につながるのかもしれない.でも,長く続けていくためには,そこが居心地がいい場所だと感じられないとだめなのかもしれない.
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by mayasuke | 2006-02-04 14:22

孔子とWebパブリッシングとソースコード

大学のRAをしているのだが,教育とは何かと深く考えさせる出来事があった.
良い教育とは,手取り足取り指導するのも違うし,間違っている部分を罵倒して叱るのも違うし,逆にほめて伸ばそうとするのも違うし,放置するのも違うし,それらを絶妙なバランスで使い分けるのも違う気がする.やはり,よく子は親の背中を見て育つといったものだが,特に何かをするわけでもなく,研究や仕事に熱心に働いて,思いやればそれから多くのことを学ぶはずだ.

Webパブリッシングの発達と多様な価値観を持つ人がいり交わる世界になったため,どうも世の中には冗長というか,文字数の多すぎる記事が氾濫していると思う.その昔,孔子とかの時代は,文字にするコストが高いためなのか,短くシンプルな文章が主流だった.それで,いいたいことは分かるし,時代を超えて愛される文章になっている.最近は,文字にするコストが極めて低いために,長い文章が簡単にかけてしまうし,ともすれば,長い文章ほど良い文章だと錯覚している人がいるのかとも思う.そのおかげで,短く良い文章というものが相対的に埋もれてしまい,長い文章と同様に斜め読みされてしまえば,記憶に残らない.本来,余分な文章は脚注にでも書いておけば十分だし,もっといえば,アノテーションとして記述しておき,理解しにくい人のみその部分を読めばよい.

同じことがソースコードにもいえる.
ともすれば,長くてばりばりのオブジェクト指向のソースコードがいいソースだと思っている人がいるかもしれないが,それは間違えで,短く平易なソースコードがいいに決まっている.そういった意味では,コメントもいらないし,デザインパターンもいらない.常にソースコードが最小化するように意識してかけば,必然的に関数化され,自然と良いプログラムになっているはずだ.

教育にせよ,文章にせよ,ソースコードにせよ,長いものがいいとは限らない.
でも,価値観の多様化により,話が通じないから,仕方なく長く書く.どこまで,書くかが問題だ.
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by mayasuke | 2006-02-02 00:31 | プログラム

曖昧なWebの世界

Webはこの10年でいったいどれくらい進化したのだろうか?10年前と比べても,より高品質な画像や映像が配信できるようになったぐらいで,特に大きな進化は感じない.たしかに,ブログの登場によってメタデータ配信と言う流れが出来てきたのは大きな違いかもしれないが,それでも,Apacheにおかれているhtmlデータを拾ってくるという状況は変わっていない.つまり,この10年間サーバの性能は数100倍になったはずなのに,動的なページが限定的にしか使われていないという状況は変わっていない.

もしも,サーバリソースが十分に余っているのならば,MovableTypeのようにWebページをわざわざ静的なHTMLに変換するといった小細工をする必要は無く,動的に変換すればいいはずだ.

この原因を考えてみると二つ考えられる.一つはネットユーザ数の増加で,二つ目はブロードバンドコンテンツの増加による転送量の増加だ.しかも,この二つの増加量はともに指数関数的な増加である.このため,いくらサーバが高性能化してもサーバリソースが余るという状況は発生しない.さらには,常時接続におけるネット利用時間の増加と,ここ数年のCPUの高速化の鈍化も寄与していると考えられる.

しかしながら,この状況はいつまでも続くとは思えない.少なくとも日本におけるネットユーザ数はそろそろ頭打ちであるだろうし,十分な品質での画像や映像が配信できるようになれば(急激なディスプレイの高精細化がなければ),急激な転送量増加は必要ない.しかしながら,サーバCPUはマルチコアやメニーコアといった方向に向かい,単位時間当たりの処理量(スループット)は今後も順調に向上していくと考えられる.つまり,転送量の増加が頭打ちになった時点で,急激にサーバリソースが余り出す時代が来ると考えられる.

そういう時代がくると,動的なWebページというものがより安易に用いられるようになる.Webページは個人化され,よりインタラクティブに,時間と共に情報が変化していく世界になる.分かり易くいえば,Web上の全てのページがMixiのようになり,アクセスする人や時間によって情報は刻々と変化する.

これは一見とてもいいことに見えるが,必ずしもそうではない.現在のWebは混沌として複雑怪奇な世界であるのにも関わらず,URL(Permalink)のおかげでかろうじで秩序を維持しているのだ.ちょっと考えれば分かるのだが,見る人やアクセスするたびに情報が変わる世界では意味を持たない.なぜってリンク先の情報が見る人によってぜんぜん違ったら,ハイパーリンクの意味をなさないからだ.だれもが等しく情報にアクセスできるのがWebの利点であったはずなのに,その利点すら失いかねない.

動的なWebページというのは大変便利で革新的であるものの,使い方を一歩間違えればこのような曖昧なWeb世界になってしまう.情報理論を用いて説明するとするなら,情報源から発生する情報が通信路(人)によって得られる情報が変わると言うことは,情報を受け取る側にとって元の情報を推定することが困難になり,それはすなわち情報量の低下であり,情報の信頼度を大きく低下させ,Webそのものの世界を崩壊させてしまうのではないかと,今からすこし心配である.

※過去のブログからの転用です.一部修正.
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by mayasuke | 2006-02-01 22:41 | Web2.0

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